「行為∞思考」全記事タイトル一覧(2008年6月15日現在)



以下は、2008年6月15日現在の「行為∞思考」全記事タイトル一覧です。
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[行為∞思考] Act∞Thought

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Act∞Thought
説明文:
「行為∞思考 Act∞Thought」はこのブログのタイトルでもあるが、実は僕(西島一洋)が1997年に企画した「現場⇔出現」のタイトルでもある。「現場⇔出現」とは、ほんの今、僕が作った造語である。展覧会でもなく、公演でもなく、イベントでもない。
以下は、参考資料。

参考資料:
□□□「行為∞思考」の記憶□□□
 1997年、名古屋のガレリアフィナルテの画廊主が僕に2週間自由に使ってもよいと言うことで、僕(西島一洋)は「行為の現場から/行為∞思考」を企画した。深夜12時を区切りとして、1日一人24時間ずつ日替わりで12人のアーティストに依頼し、現場行為と思考の場を持つことになった。  企画者の僕は、2週間ほとんど睡眠もとらずに行為者たちと時間を共有するという、まるで修行のような企画であったが、僕もまだ今よりいくらかは若かったので、遂行できた。  この企画の骨子は、ただ行為するだけでなく、その行為について徹底的に話し合おうというものであった。  また、一部始終を、ビデオや写真で記録し、また後日それらを元に文字化し、冊子を作るということも、企画の重要な要素でもあった。  しかし、10年たった今でも、文字化が進んでいない、というより滞っている。極めて膨大な量のなビデオテープが、今も僕の部屋の片隅に、うず高く眠っている。その冊子刊行の実現には、まだ至っていない。とはいえ、僕はまだあきらめていないのだ。  さて、この企画「行為の現場から/行為∞思考」を遂行するに当たって、事後に記録集を出版するからと、僕は海上宏美氏にあらかじめ執筆依頼していた。具体的な記録の文字化は僕がするので、海上さんには、批評とか何かを寄稿して欲しいと依頼した。  そして、なんと海上氏は、2週間の長丁場の企画につき合ってくれたうえ、直後に「重厚な文章」(※1)を寄せてくれた。
 それから、10年の月日が過ぎてしまったが、いまだに小冊子の刊行には至っていない。しかし、僕は今でも、いつかその小冊子を作ろうと思っている。とはいえ、この海上さんの文章が、いまだに公開されること無く、僕のところで眠っているのはもったいないし、心が痛む。  いま、改めて海上さんの書いてくれた文章を読み返す。当時難解で分からなかったことが、少し読めるようになった。  小冊子も作らないで、海上さんの文章を公開するのは、海上さんに対して極めて非礼である。しかし、僕もいつ死ぬかもしれない。このまま貴重な文献が埋もれたままになってはいけないと思い、あえて、僕の記憶のかけらの参照文献としてこの場を借りて公開する。 
 ※1/以下の文章は、未公開の、海上宏美氏によるものである。極めて貴重な文章である。

………………………………………………………………………………………
[行為の現場から/行為∞思考]に隣接する思考の断片として

海上宏美 Hiromi Unakami

□はじめに
芸術を参照とした名称不能の行為の契機は、端的にいえば芸術の否定である。しかしそれがすぐさま芸術領域からの脱出を意味するわけではないし、またかえって脱出を不可能にもしている。芸術領域が確定されていれば脱出は可能だが、芸術の否定には、実は芸術領域の確定自体の否定が含まれており、そこでは非芸術領域が逆に芸術領域に侵食され、芸術領域が一方的に拡大される。つまり、生き方が問われるという意味での日常、の芸術化である。と同時に芸術も日常化される。芸術領域の確定の否定は、日常の芸術化と芸術の日常化という原理的区別を不可能にする。芸術領域が確定していない場合、こうした事態は不可避的に発生する。ここにおいて優位となるのは結果や目的としての作品ではなく、その生成であるプロセス=過程であり、作品制作の行為である。名称可能性とは、このプロセスに終止符を打つことの可能性であり、名称とは、それが事前に先取りされているものに他ならない。
行為は名称=名付けることで抜け落ちたものに対応していると認識されがちだが、それは正確な認識ではない。ここには前後がある。事前の認識なのか、事後の認識なのか、というという問題である。「名付えぬもの」とは行為の事後にのみ見いだしうるものであり、「名付えぬもの」を事前に見いだすことはできない。事前に見いだされたものは「名付えぬもの」と名付けられたものにすぎない。
芸術領域の自立や確定の固定化は、芸術領域の空洞化を招くことがしばしばあり、美術館やギャラリーの空洞化はそれを物語っている事例とみることができる。芸術領域とは他の非芸術領域、つまり政治等の領域との対抗関係によってのみ成立するものであるとすれば、この対抗関係を見失っていることに芸術領域の確定の問題があるといわねばなるまい。それゆえ芸術領域の曖昧化、周縁化、拡大化は不適切な対応であるかもしれない。
共同体的な共同性に準拠しない(できない)ことを旨とする近代主義モダニズムの徹底は、美・平面・イメージ・表象であることを突き抜け、合理を指針として、徹底して個的で徹底してリテラルであるという姿をとる。そしてその徹底の行き着く先は袋小路である。もはや先送りできるものはなにもなく、ただその袋小路に留まり続ける他はないはずなのだが、それゆえかえって、ここに回帰または還元が起こってくる。
平面性への回帰または還元が否定されるならば、行為への回帰または還元も否定されなければならないはずである。


西村誠英 Seiei Nishimura 死物ART(思考実験「画跡体」展)
主に新聞紙を無造作にちぎり、貼り合わせたような縦長の形状のものが、壁面から床にかけて吊られている。床面にまで達している。素材は新聞紙だけでなく、不要になったチラシ、包装紙などの廃材であるようだ。なるほどこれが「画跡体」かと思わせる。
「画跡体」という言葉には、「画」=絵画は身体的な行為の痕「跡」という思考が見られる。それは絵画をめぐる事前/事後の思考ともいえるだろうし、さらに言い換えれば死前/死後の思考ともいえるだろう。もちろん「跡」=後(=ART)なのだから、死後が前景化されている。つまり、死が尽くされてしまった地平が前提とされている。死が尽くされてしまった地平とは西村にとって「アウシュヴィッツの死」「ヒロシマの死」以後を指しており、そこでは「死後の生」を生きる他はない。これが現在、人がいる地平だ、ということなのだろう。死が尽くされてしまった=消尽された死という地平においては、物の死もまた尽くされている。それは廃物であり死物であろう。この地平に存在する者/物はなにもない。西村のいう「廃物」「死物」「廃物人」とはこうした地平にある者/物を指していると思われる。
また「画跡」と「画跡体」も区別されている。その区別はハイデガー的にいえば、「存在」と「存在者」の区別ともいえるものだ。西村はドナルド・ジャッドの作品への批判を大きなモチーフにしているようだが、「存在」と「存在者」というキーワードでジャッドの作品を見てみれば、「存在」=「画跡」の開けがない、それゆえ「存在者」=「画跡体」として完結している作品ということになるだろうか。「他」も「存在」も「イメージ」も開くことがないということかもしれない。だが、ハイデガーの「存在」がもともと「無」であることの形而上学であるとすれば、こうした視野でジャッドの作品を見てみると、開けのない作品であることは不思議ではないだろう。とはいえ、シャッドは空虚であることの底を割らないという不満は残るし、割ろうとさえしていないともいえる。
割るためには、成すこと、行うこと、行為することが必要となるだろう。
「画」存在の存立性は、現代廃物人「己」 との「出会い」場を通して蘇生した存在で ある事を 己への再度の問いかけとして ここに明らかにする事になる。
西村はこう記している。「出会い」場とは、成す=行為の場であるだろうことはわかる。だが問題は「蘇生」である。消尽された死の地平から「蘇生」するというのだが、それでは元に戻ることにはならないか。私は「蘇生」ではなく、消尽された死の地平の「底を割る」と考えてみたい。
「蘇生」という語と「画跡」の「跡」はどこかで通底しているように思われる。つまりそれは死後の蘇生なのではないか。「画跡体」から「画」存在への復活ではないか。行為とは「蘇生」させるためのものではなく、消尽された死の地平に留まるための賢明な方策であると私は思いたい。


北山美那子 Minako Kitayama(パフォーマンス)
現在、パフォーマンスという領域は芸術領域内において「対抗的」に形成される領域を指すわけではなく、すでに自立した領域として認知されている。つまり「パフォーマンス」という語=名称の持つ射程距離は限定されており、またその批評性の有効度合いも減衰しているといえるのではないか。とすればパフォーマンスの有効性とは、やはり政治的な領域との対抗関係の中で見ていく他はないだろう。パフォーマンスにおけるフェミニズムとはそうした問題系ではないのか。
北山美那子のパフォーマンスは、幾重にも重ね着した普段着の衣服を脱ぎ捨てていくというもの。場内は蝋燭の火と薄暗い照明。子供用プールが二つあり、シャボンに溢れている。胎内の記憶、幼児期の記憶といった事柄を連想させる。幼児の英語での会話のようなものが会場に流れる。のちに知ったことだが、彼女は幼年期をアメリカで過ごしたのだという。つまり自身の私的な人生や記憶からエピソードを取り出し、公的な場に置くというフェミニズムのパフォーマンスと重なるように見える。
それは「自伝の戦略」といわれるものである。男性(中心的)/女性(周縁的)、公的な記憶=歴史/私的な記憶=自伝、つまり大文字/小文字という二項対立図式の中で、私的な記憶のパフォーマンス=自伝的パフォーマンスを公的な場で行う。こうした戦略は、二項対立という図式の書き換えを迫るものだろう。
北山自身の意図は私には不明だが、彼女がこの企画のほぼ唯一の女性参加者であることは事実であり、その現実を無視するわけにはいかない。このような無視できない現実と北山の行為は接点を持つはずだ、と読み解いていく必要があるのだろう。それがパフォーマンスの有効性を描きだすことにもなるのだと思われる。


古橋栄二 Eiji Furuhashi( )[タヒチ
名前の後の( )内には何も書かれていない。その後の[ ]内にはタヒチと書かれている。( )内には各自の行為の自称が入るらしいのだが、自称がない。つまり名付けられていないわけである。だが「名付えぬもの」ではないようだ。なぜなら[ ]内のタヒチへバカンス旅行に出かけている、ということらしく、( )内は留守なのだ。だからといってそのうち( )内に戻ってくるというと、そうでもないようだ。( )とは芸術領域のことであるとすれば、そこからの離脱であり、端的に言って( )内にあるであろうものの否定である。戻ってこないのであれば、( )の外側をフラフラしているほかはない。戻らぬ旅行とは漂泊である。この国には漂泊の精神史というものがある。西行芭蕉を想起すればよい。だから漂泊するのであれば芸術領域である( )内からの漂泊では十分ではない。徹底してリテラルではない。それゆえ徹底した態度、つまり日常や生活なるものからの離脱が求められるのではないか(誰が求めるのかは問題があるが)。そうしたものから離脱しないのは、離脱する理由がないからだろう。それは当然、不徹底を徹底する、というスタイルになる。しかしこうしたスタイルは言語的に先取りすることができるものであり、つまり見え透いている。そこでは、見え透いていて良い、ということになるのだが、だから[タヒチ]なる行為があるとすれば、それは閉じている、としか言いようがないものだろう。閉じているものを行為の公開や公演という形態で、なぜ他へ「開く」スタイルで成すのだろか。それは古橋が( )に準拠しているからであろう。だが、もともと誰にとっても( )の中身などは重要ではなかったのだ。( )が生成されることのほうがはるかに重要なのではなかったか。( )への準拠は自己撞着の先送りとなり、過程=行為の偏重という事態を招くこととなる。過程=行為とは( )を生成することであり、”(” と ”)”に分かれていくことなのではないのか。古橋にとってリテラルにというか、文字通りというか、記号通りというか、事前に記述されているというその一点で、( )は先にある、ということが前提とされているように思われる。


福原隆造 Ryuzo Fukuhara(舞踏)
福原はこの企画に二度登場する。一度目は個として、二度目はグループ「Alchemic sis」として。複数性という差異化の運動は個であってもグループであっても見い出すことはできるとすれば、福原にとって個とグループの違いはその具体性にあるといえよう。自身のコンセプトを他者と共有するという作業、あるいは他者へ振り付けるという作業。こうした具体的な作業を通して思考すること。つまり福原にとってグループの作業とは立法者の立場に立つ、ということなのだろう。こうした発想を私は肯定したいと思う。
さて、その作品である。個として登場する作品は舞踏と名付けられている。福原自身の制作した装置を背景装置=セノグラフィとして踊りはなされる。その背景装置=セノグラフィはインスタレーションのような趣もあるのだが、実は背景装置=セノグラフィでしかないことが何気なく示されている。つまりそれはありがちなものとして設定されている。インスタレーション=空間装置がそもそもありがちなものでしかない、ということが含意されているのだろう。福原の装置は壁面装置であり、空間装置としては機能していない。背景であることに留まっている。しかし、その背景装置もありがちなものであるがゆえに、当然だが、そこでの舞踏もありがちなものになる。とすると、なぜインスタレーション=空間装置なるものへの皮肉ともとれるような壁面装置が必要であったのか。それは舞踏作品として必要な「らしい設らえ」であったのだろうか。しかし、この「らしい設らえ」である壁面装置は納得できないものではなかった。
一方、グループ公演における装置はインスタレーション批判としての壁面装置ではなく、まさくインスタレーション=空間装置であった。個としての舞踏ではバケツが身体に突き刺さるような装置=身体の分裂を維持するような装置として使われていた。それは空間装置などというものでは決してなかったが、グループの公演では、設らえられた装置すべてが空間装置として機能していた。身体の分裂を維持するような装置としては機能していない。
個としてはインスタレーション批判が行われていたと思われるのだが、グループとしてはインスタレーションに埋没しているという印象である。振り付けることに苦慮したのかもしれないが、空間/身体/装置は、「分有」される主体の、より具体的な集まりであろうグループにおいてこそ、問われるべき事柄であるのではなかろうか。


林ヒロミ Hiromi Hayashi(写真)
街頭で行われた行為に私は立ち会っていないが、会場のビデオで見ることができた。ほぼ裸の状態で歩道を這いながら、林に付き添う西島の持つ鏡に写った風景に対してシャッターをきっているようだった。ビデオでは鏡越しに何を撮っているのかはわからない。鏡を使っているので、裸の林自身が被写体として写っているのか、いないのか、私には気になった。ビデオを見ていると会場では現像が始まった。
今回、林が主題としているのは写真ではなく、写真を「撮る」という行為である。「撮る」行為は裸体で地を這うほどに拘泥されているのだが、「現像」=「焼く」行為は凡庸である。「撮る」行為と「焼く」行為が拮抗するところに写真があるとすれば、行為が写り込んでしまったフィルムは現像すべきではない、という倫理さえ写真においては成り立つずだと思われる。逆説めいてしまうが、たとえば、荒木経惟のように鏡を使わず自身が被写体として写っている写真でさえ自身の作品であると言ってはばからない在り方に、写真における断絶を見ることができるのではないのか。
林の今回の作品には自身が写り込んでいる。鏡を使うことでそれを可能にしている。鏡を使って自身を写すという行為の結果として自身を被写体とした写真が可能になる。これは自身の行為が写真へと連続すること=繋ぐことを可能にするわけだが、それは写真に対する裏切り行為といえなくはない。写真は現実世界と連続していないのではないか。断絶しているのではないのか。その断絶性=非連続性こそ写真といわれてきたものではなかったか。かつて写真は生きているものの魂を奪うものだといわれていた。写真もまた「死後の生」という地平にあるのではなかろうか。


浜島嘉幸 Yoshiyuki Hamajima(身体表現という舞踊)
会場の中で浜島は小さな椅子に座っている。そこに観客は入場させられる。浜島の公演においてこうした「板付」状態は珍しい。この公演が西島の依頼=プロデュースであることに対する皮肉であるとも受け取れるような始まりである。この公演を成立させている主体は、原則的には浜島ではなく、西島であることの明示か、と私は思った。それはあまりに意地の悪い解釈かもしれないが、そう解釈できる余地を残していることもまた確かなことではなかろうか。
浜島の「身体表現という舞踊」(以下、私は踊りというが)を見ていても表象/代行という言葉はあまり思い浮かばない。表象でなければ、代行でもなく、イメージでもなければ、再現でもない。そこに人がいるというふうである。私はあるコンテクストを持って見ているのだが、こうした印象はコンテクストの発見や形成ができない場合でもあまり違わないのではなかろうか。
舞台芸術は「分有」された主体としての他者を不特定の観客として構造化している。分かりやすくいえば主体としての演者は観客を事前に想定しているわけだが、その観客とは原則的には不特定多数であろう。それゆえ不特定多数の視線に身を晒さないこと、作品を晒さないことも、選択として認められるべきことである。もちろん浜島がそうしたことを自ら積極的に選択しているというわけではないだろうが、不特定多数という観客の在り方が、かえって表象文化における表象を維持しているといえなくはない。時間性に基づいて形成された特定の共同性の中では、表象は一目瞭然という形象を伴って徴付けられるのであろうから、そこでは表象を言う必要はない、というより表象は成立していないというべきかもしれない。
「枠付けられたもの」を前提として、不特定多数性(もちろん他者性といってもいいのだが)が構造化されていることに由来することとして表象は語られる。
身体もまた「枠付けられたもの」であるのだから、表象されているものあるとは思われるが、それは浜島自身を離れているので、表象を問題化すべきような事態であるとは感じられない。浜島の踊りにおいて、他者をどうこうしようという思惑は絶縁されており、常に他者とはこの自身のことなのだ、という思考と佇まいが徹底している。自身が他者なのだから、いわゆる他者と通底している、あるいは自己の主体が分裂しており、分裂した自己における他者は「分有」という在り方で他者と主体を共有しているのだろう。そうした思考の徹底性が、表象の問題化という事態を回避しているようにも思われる。
しかし、思考の徹底性ゆえに、行為が腑に落ちるというのであれば、思考と行為が実は不可分だということでもある。この言い方は何がしかの詐術があるように思われるが、しかし、実は思考と行為が不可分であるのは当然であり、可分であるとするのは、西洋形而上学的な思考ではなかったか、ということもできよう。その日の天候一つで気分は変わってしまうものであるし、晴れた日は気分が良く、雨の日はいささか憂鬱になるのは、不思議なことではない。もちろんこうした在り方が「正しい」というつもりはない。しかし、有用な参照項ではあるはずだ。身体とは空気を呼吸するのであり、その呼吸を通じて眼前のものと通底しているといえなくはないのだ。ここで注意したいのは、眼前のものとの通底と似ているが異なるものとしてのアウラである。超越的なるもの=聖なるものとの呼吸を通じての通底が放つ輝きをアウラと呼んできたということだ。眼前のものに留まることと聖なるものと通底することは違うはずだ。聖なるものとは通底せずに、しかし、「枠付けられた」身体にまとわりつく何か。それはアウラと呼ばれるものではない。こう記述してくると、それは平面におけるイマージュに限りなく近いもののように思われてくるが、そうしたものへの回帰とか還元という言葉で語ればよいものではないだろう。
確かに浜島の踊りにおいて、「枠付けられたもの」=媒体を通して、無媒介的なもの=イマージュが現れるという逆説は成り立っていると思われるし、それゆえ、コンテクストの有無も問わないとも思われるのだし、それはそれでよいのだが、このような非歴史的記述を促す歴史的視点とはいったい何なのだろうか。
何年も前から浜島を見ているが、飽きるということがない。踊りに大きな変化もなく、目新しさなどもなく、いつも同じようなのだが、飽きるということはない。繰り返し同じものに立ち会っている、といってもいい。こうした反復的事態にこそ、固有性や単独性が現れるといってもいいのだし、舞踏などに見られる「本質主義」から最も遠いという形容もできるだろう。
だが、それは何を対象として対抗的に形成されているのかを忘れてはならないだろう。これは浜島に対してではなく私自身への言葉である。


※このページは、長文ですので英語への自動翻訳はこの辺あたりだろうと思います。

以下の文の英訳の続きはこちらをクリックしてください。【More English here】


木下以知夫 Ichio Kinoshita(彫刻)
私は夜に出かけていったので「行為」には立ち会っていないのだが、木下における「行為」の重要性とは自身が記しているように「この”物・場”にオルコトの重要性」ではなかろうか。
「人工廃物」と呼ばれる打ち捨てられたものが会場の床面を埋めている。なかでも目には入ってくるのはガードレールである。木下はこのガードレールを叩いたり眺めたりしているという。私が訪れた折りにも木下は会場に立ちガードレールをはじめとした「人工廃物」を眺めてもいた。
手が加えられていない、というのではない。木下によって焼かれた複数の100円ライターは、一個ずつ10センチ四方の木箱に入れられ展示されている。このライターは木下の「家の身辺にゴロゴロあったモノの一つ」であり、「いつ、どこで、どんなふうに焼いたか」もすでに記憶にないという。
「モノ」のほうから語ってくるのを待つ、というのでもない。「人工廃物」はゴロっとあり、ポツンとあり、人が関係を持てるものでもないというふうなのだ。木下はそうした「モノ」の在り方を「絶対的コリツ」とも記している。さらにはこのような「一個物」の「マッサツ」の場を広島のゲンバク(ヒロシマの死)」として見ている。
「モノ」なるものが、事前に存在しているのか、事後に存在しているのか。どのように思念するかによって、「モノ」の捉え方は変わってくるだろう。木下が近代・彫刻・作家であるとすれば、近代・彫刻・作家にとって、「モノ」とは事前に存在するものではない、といえる。近代・彫刻・作家にとって、「モノ」のモノ性とは事後に見い出すもの、見い出してしまうものではないか。木下の文章はこうした「モノ」と断絶することで見いだされるモノ性についての記述であるようにも思われる。
しかし、「人工廃物」もまた、人に使われた「後」で捨てられたものだろう。その意味では廃物を事前に見い出すことはできないのだが、「すべては人工廃物である」とするならば、その地平以後に私たちがいることになる。そこでは廃物もまた事前に存在している。
だがしかし、これやはりは仮構されたメタフィジカルな視点であり、そのことでなにがしかの対象を批評するという契機なしには、まさに形而上的な思念となるだろう。
木下の位置は、私には定かではないのだが、彫刻家の思考というものを感じないわけにはいかない。木下にとって行為とは「モノ」とともに唯ある、ということなのかもしれない。


水野稔也 Toshiya Mizuno(演劇を参照したパフォーマンス)
「演劇を参照したパフォーマンス」は、公演当日「演劇の上演」と改められていた。しかし、どうしてこうもややこしい言い方になるのか。どうして芸術領域にこうも拘るのか。それはなぜ芸術領域を肯定するという表現をとらないのか。なぜ、かくも脱−芸術、反−芸術というような表現をとるのだろうか。こうした試行=思考と錯誤を「演劇を参照したパフォーマンス」改め「演劇の上演」は、くぐり抜けてきただろうか。
「断片化されたテクストをMDでランダイム再生」し、左右にチャンネル分けされたテクストにも異なる身振りが割り振られており、事前に決められたことが上演ではただ実行されているようだ。事前に決めたことを文字通り実行する、という在り方にリテラルな思考が認められる。リテラルな思考は必ずや行為を肯定するだろう。行為を肯定する態度は極めて歴史的な態度である。つまりそれ以前の、行為をモメントとして考慮してこなかった芸術を否定することになるのだから。
この公演タイトルは「右耳と左耳の上演」とあり、「劇場内部における主体性について」とサブタイトルがある。また水野は、行為を演劇における「俳優の行為」に限定するという趣旨を文章に書いている。演劇における「俳優の行為」は、それ自体すでに「俳優の行為」であるのだから、以前の演劇の「俳優の行為」を否定する契機を内部に持っていない。否定する契機を持つためにはリテラルな思考が不可欠であると同時に、内部に契機を持たない「俳優の行為」を、上演/表象/代行ではないとするためには、どうしても外部性の刻印が必要となる。それは劇場の外という視点として存在するだろう。そうした劇場の外部という視点を隠蔽するために「劇場内部」が想像的・再帰的に設定される。「劇場内部」という言い方がこのように再帰的な想像物かもしれないということを忘れてはならない。
このような外部の内部化は、いたるところに見い出される。外面の内面化、西洋の日本化などがそうであり、内部と外部の衝突によって生じる危機を回避するものとして機能する。だが、危機は回避されたとしても無くなったわけではなく、外部にはあるはずの「真の」主体性が、この内部においては危機に瀕していると強迫的に想像される。それゆえ主体性の立ちあげや回復が、この内部に存在するであろう「本質」に基づいて目指される。これが「エッセンシャリズム」=「本質主義」といわれるものである。
ある局面では「主体性などない」という必要があるはずだが、それは公に奉仕する私という「滅私奉公」的なものでは決してない。もし行為になにがしかの意味があるとすれば「主体性などない」のに、そこに行為があるという、その在り方を見い出したときではないか。俳優の演技とは、そうした在り方を切り出そうとするところにあるといっていかもしれない。
内部/外部、客体/主体、女/男、日本/西洋というような二項対立図式自体が専ら悪いというのではないし、またこの対立を単に破棄するのでも十分ではないだろう。この二項対立図式が繰り返し生み出す関係的事柄を書き換えていくことが求められているのではないか。
私はだいぶ遠回しに言ってきたかも知れない。それはこうなのだ。この企画[行為の現場から/行為∞思考]において西島の提起する行為から最も遠いのは「俳優の行為」であると思うのだ。だからこの企画と一切交わらないとする「俳優の行為」がなされてもよかったはずなのだ。これは行為の文脈からではなく、演劇の文脈から言っている。水野が「演劇を参照したパフォーマンス」から「演劇の上演」と改めたことの意味は、そこにしかなかったはずではなかろうか。


岡崎豊廣 Toyohiro Okazaki(音)+清川桂史 Keishi Kiyokawa(映像)
岡崎の活動の中心はディスロケーションというノイズバンドである。清川もそのメンバーである。岡崎はサンプリングマシーンを使い、事前にサンプルした音を現場でカットアップする。それは音を構成したり組み立てるのではなく、むしろ散乱させる、というものに近い。だからこそノイズバンドなのである。ディスロケーションのそうした音楽の在り方に私はいつも共感を持ってきた。即興というコンセプトや現代音楽というある種の前衛へ傾くこともなく、またポピュラーな音楽という後衛へ傾くこともない。ただただノイズバンドというロック的在り方に留まり続けている。ディスロケーションはバンドである、という単純な規定。だが、その内実は単純ではない。清川はビデオを操作し、その他のメンバーもギタリストとサックス奏者という構成である。にもかかわらずノイズバンドという領域に留まり続けることのもたらす自在さがあるように私には思われるのだ。それは岡崎と清川の二人だけであっても変わらない。
清川は、以前はパフォーマンスといえる行為を行うこともあったのだが、現在はビデオの投影が主であるようだ。映像は身体の部位を映したと見えることが少なくない。清川自身がパフォーマンスを行うことからの移行を考え合わせてみると、断片化された身体へと関心が移行しているのかもしれない。投影は複数のビデオプロジェクターで行われるので、用意されたいくつかの映像を現場で組み合わせている。岡崎のようなサンプリングによるカットアップという形態にはならないが、デジタル映像機器が普及すれば、清川の投影方法もより拡散する方向になるのかもしれない。
私はディスロケーションの音楽の在り方に
共感を持ってきたと書いたが、こうしたディスロケーションの音楽の在り方の先に何があるのかはわからない。


古田一晴 Issei Furuta(映像)
かつて古田とともに自主映画・実験映画に関わってきた浜島嘉幸は、今回の古田の映像を「完璧なイメージだ」と語った。古田の映像をジャンル分けすれば、個人映画であり実験映画である、ということになるだろうか。三台の映写機を使い映写するという方法もとられている。具体的な風景や抽象的な画像が反復的に現れる。イメージ、表象、夢、そんな言葉が浮かんでくる。確かに、映写されたものを見ていれば、そうなのだが、映写は行為としても行われているので、映写している様子も見ようと思えば見えるのである。さらには岡崎豊廣のノイズ音、田中”もQ”茂久のサックスが加わっている。
ところで「完璧なイメージ」とは何を指しているのだろうか。ふだん私たちは映画を見るときに映画以外の何かを見ている。それは物語や情景といわれるものだろう。だが「完璧なイメージ」といわれる事態で見ているものは「映画そのもの」のように思われる。「そのもの」という言葉は誤解を招くので言い換えれば「映画という媒体」を見ているということだろう。これを見るためには、そこにイメージが不可欠である。何も写っていないものを見ることで「映画という媒体」を見ることはできない。なぜなら何も写っていないものは映画ではないからだ。逆に言えばどのような映画でも「映画という媒体」は見ることができるともいえよう。このようにどのような映画でも「映画という媒体」を見ることができるという事態を「絶対映画」と呼ぶとすれば、「完璧なイメージ」である古田の映画はそうした事態を純化した「純粋映画」と呼べるかもしれない。
「純粋映画」とは「閉じた映画」をも意味せざるをえないが、こうした「純粋映画」という事態を回避するための方策はいくつかあると思われる。その一つが「映写する」という行為なのだろう。確かに「映写する」という行為を顕在化することで、「開かれた映画」という地平に留まることができるのかもしれない。
私は、映画を光源として「行為」に光を当てると、「行為」に、また異なった陰影を与えることができるかのように記述しているが、
しかし、果たしてそうなのだろうか。こうも言えなくはないか。映画には「行為」を思考することはできない、と。


西島一洋 Kazuhiro Nishijima(体現)
自身の行為を「体現」と名付けている西島は、会期の最終日、およそ二週間に渡って使用されたギャラリーの壁を日の出から日の入りまでの時間をかけて白く塗りなおした。私が立ち会ったのは、日の入りまでの約一時間ほどであった。
中央には鉄球が吊り下げられている。壁塗り作業の合間に、時折、中央の鉄球の下に座し、棒きれで鉄球を叩く。剃髪した髪がサラシに織り畳まれており、それを広げたりまた畳んだりもする。これは意味不明の行為である、というより、むしろ意図的に無意味である行為を行っているのであろう。
ギャラリー使用後の壁塗りは現状復帰として「現実」に必要な行為であろう。この行為が意味の明瞭な極めて「現実」的な行為であるがゆえに、その「現実」的な行為を切断する行為は、最も非現実的で無意味であることが望ましいはずである。
「現実」に必要な行為と非現実的で意味不明の行為の交わりの中に、西島は自身の「体現」を成立させようとしているといえるかもしれない。「壁塗り」と「鉄球叩き」を結び付け、そして切断することで、そこで行われる行為=「体現」が単なる「芸術のための芸術」に堕さないように設らえてあるともいえるだろう。
このように記述してくると、これは「芸術としての行為」なのか、「反−芸術としての行為」なのか、という二元的な紋切り型の問いが想起される。それはまた「反−芸術としての行為」は芸術領域の境界を曖昧にしながらも、常に芸術領域との対抗が意識されており、結果としては「芸術」を補完し強化する、という定番をも想起させることになろう。もちろん西島はこの紋切り型の問いに対して、「これは体現と名付けられたものである。」という答えを持っている。だが、しかし、この紋切り型の問いが私の頭から去って行かないのはなぜだろう。
西島は自身が画布に向かって描く線にリアリティを感じることができない、それよりも暮らしの中でふと付いてしまう壁の傷にリアリティを感じる、という。ここに、もともと絵を描いてきた西島の困難があり、「画布に向かうこと=芸術」と「暮らしの中の壁の傷=反−芸術」を交差させる「体現」へ向かう契機もあるのだろうと思われるが、その思念に私は、「芸術/現実」「アート/実人生」の分離を止揚するような方向を感じているのだろう。
止揚する=解決する策を私たちは何も持っていないのではないか。つまり分離を分離のままに維持すること。西島にとってそれはどのような事態を意味することになるのだろうか。



………………………………………………………………………………………
以上が、海上宏美氏(Mr.Unakami)の文章である。
僕の文章も加えていずれ、必ず小冊子にする。

西島一洋 Kazuhiro Nishijima


出典元:行為∞思考 ”Act∞Thought” Kazuhiro Nishijima
…出典元の参照文章:上記…


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MEMO

[孑孑彷徨変異] Wriggler wandering mutation

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Wriggler wandering mutation : GetsuGetsu-Houkou-Heni
説明文:「孑孑彷徨変異」とは、僕(西島一洋)の造語で「ゲツゲツホウコウヘンイ」と読みます。「孑孑」は「ぼうふら」、「彷徨変異」は生物学用語で「突然変異」の対立概念です。また「孑孑彷徨変異」は、「原記憶交感」「絵幻想解体作業」とも並ぶ僕の「行為∞思考」の根幹を成す三本柱の一つでもあります。いずれも僕の造語です。現在、これらの言語化(文字化)を試みていますが、まずは「孑孑彷徨変異」の現場を体感してください。
出典元:孑孑彷徨変異 Wriggler wandering mutation
…'Wriggler wandering mutation/孑孑彷徨変異' is coinage that I made. It is read as 'getsu-getsu-hou-kou-hen-i'. 'getsu-getsu' is mosquito's larva ,in a word, the wriggler. 'Hou-kou-hen-i" is a technical term of biology. It is a confrontation concept of 'Sudden mutation'. And, 'getsu-getsu-hou-kou-hen-i' is one of the concepts of three mainstays made important in my 'act∞thougt' act and the circulation process of the idea. One is the 'think about proto-memory' among the following two concepts. And, another concept of the remainder is 'Work to dismantle a joint fantasy of painting'. These three concepts have done my idea and the basis of the act. And, these approve and an abstruse concept that united ..complicating.. beginning has been approved only by coinage that I am original. I am trying work to make my of these idea and concept sentences now. First of all, please experience the site of 'Wriggler wandering mutation' from interlinear spaces of sentences.…

参考:
資料1:Protein BiosynthesisProtein Biosynthesis
資料2:生物学基礎 (目次PDF) 第9章 タンパク質の生合成
資料3:生物・化学用語読み方辞典 彷徨変異

【Italian】……“Il 孑孑彷徨変異 errante di mutazione di Wriggler„ è invenzione che ho fatto. È letto come “getsu-getsu-hou-kou-gallina-io„. “il getsu-getsu„ è larva della zanzara, in una parola, il wriggler. 'la Hou-kou-gallina-io„ è un termine tecnico di biologia. È un concetto di confronto “della mutazione improvvisa„. E, “la getsu-getsu-hou-kou-gallina-io„ è uno dei concetti di tre sostegni resi importanti nel mio atto “del act∞thougt„ e nel processo di circolazione dell'idea. Uno è “pensa alla proto-memoria„ fra i seguenti due concetti. E, un altro concetto del resto è “lavoro per smantellare una fantasia unita della pittura„. Questi tre concetti hanno fatto la mia idea e la base dell'atto. E, questi approvano e un concetto abstruse che ha unito ..com che plicating. l'inizio è stato approvato soltanto dall'invenzione che sono originale. Sto provando il lavoro ora per fare mio dei questi le frasi di concetto e di idea. In primo luogo, sperimentare prego il luogo “della mutazione errante di Wriggler„ dagli spazi interlinear delle frasi.……

【French】…… « le 孑孑彷徨変異 errant de mutation de Wriggler » est l'invention que j'ai faite. On le lit en tant que « getsu-getsu-hou-kou-poule-je ». le « getsu-getsu » est la larve du moustique, dans un mot, le wriggler. la 'Hou-kou-poule-je » est une limite technique de biologie. C'est un concept de confrontation « de mutation soudaine ». Et, la « getsu-getsu-hou-kou-poule-je » est l'un des concepts de trois soutiens principaux rendus importants dans mon acte de « act∞thougt » et le processus de circulation de l'idée. On est « pensent à la proto-mémoire » parmi les deux concepts suivants. Et, un autre concept du reste est « travail pour démanteler une imagination commune de la peinture ». Ces trois concepts ont fait mon idée et la base de l'acte. Et, ceux-ci approuvent et un concept abstrus qui a uni ..com plicating. le commencement a été approuvé seulement par invention que je suis original. J'essaye le travail pour faire mon des ces des phrases d'idée et de concept maintenant. Tout d'abord, éprouver svp l'emplacement « de la mutation errante de Wriggler » des espaces interlinear des phrases.……

【Spanish】…… “el 孑孑彷徨変異 de la mutación de Wriggler que vaga” es la invención que hice. Se lee como “getsu-getsu-hou-kou-gallina-yo”. el “getsu-getsu” es larva del mosquito, en una palabra, el wriggler. la 'Hou-kou-gallina-yo” es un término técnico de la biología. Es un concepto de la confrontación de la “mutación repentina”. Y, la “getsu-getsu-hou-kou-gallina-yo” es uno de los conceptos de tres apoyos principales hechos importantes en mi acto del “act∞thougt” y el proceso de la circulación de la idea. Uno es “piensa de proto-memoria” entre los dos conceptos siguientes. Y, otro concepto del resto es “trabajo para desmontar una fantasía común de la pintura”. Estos tres conceptos han hecho mi idea y la base del acto. Y, éstos aprueban y un concepto abstruse que unió ..com plicating. el principio ha sido aprobado solamente por la invención que soy original. Estoy intentando el trabajo ahora para hacer mi de estos oraciones de la idea y del concepto. Primero de todos, experimentar por favor el sitio de la “mutación que vaga de Wriggler” de espacios interlineales de oraciones.……

【Korean】……설명문:「孑孑彷徨変異/혈혈환경 변이」란, 나(니시지마한양)의 조어로 「게트게트호우코우헨이」라고 읽습니다.「혈혈」은 「우대신등」, 「환경 변이」는 생물학 용어로 「돌연변이」의 대립 개념입니다.또 「혈혈환경 변이」는, 「원기억 교감」 「그림 환상 해체 작업」이라고도 줄선 나의 「행위∞사고」의 근간을 이루는 세 기둥의 하나이기도 합니다.모두 나의 조어입니다.현재, 이러한 언어화(문자화)를 시도하고 있습니다만, 우선은 「혈혈환경 변이」의 현장을 체감 해 주세요.……

【Chinese】……說明文:所謂「孑孑彷徨変異/孑孑徬徨變異」,用我(西島一洋)的造詞讀「getsugetsuhoukouhen'i」。「孑孑」用「跟頭蟲」,「徬徨變異」生物學用語是「突然變異」的對立概念。再「孑孑徬徨變異」,形成「原記憶交感」「畫兒幻想拆卸工作」排列的我的「行為∞思考」的根幹的三本柱子之一也有。全都是我的造詞。現在,嘗試著這些的語言化(文字化),不過,請首先親身感受「孑孑徬徨變異」的現場。……

【Chinese】……说明文:所谓「孑孑彷徨変異/孑孑彷徨变异」,用我(西岛一洋)的造词读「getsugetsuhoukouhen'i」。「孑孑」用「跟头虫」,「彷徨变异」生物学用语是「突然变异」的对立概念。再「孑孑彷徨变异」,形成「原记忆交感」「画儿幻想拆卸工作」排列的我的「行为∞思考」的根干的三本柱子之一也有。全都是我的造词。现在,尝试着这些的语言化(文字化),不过,请首先亲身感受「孑孑彷徨变异」的现场。……

【German】…… „Wriggler ist wandering Veränderung 孑孑彷徨変異“ Prägung, die ich bildete. Es wird als „Getsu-getsu-hou-kouhenne-ich“ gelesen. „getsu-getsu“ ist Larve des Moskitos, in einem Wort, das wriggler. 'Hou-kou-Henne-ich“ ist eine technische Bezeichnung der Biologie. Es ist ein Konfrontationkonzept „der plötzlichen Veränderung“. Und, „Getsu-getsu-hou-kouhenne-ich“ ist eins der Konzepte von drei Rückgraden gebildet wichtig in meiner „act∞thougt“ Tat und im Zirkulation Prozeß der Idee. Eins ist „denken an Protogedächtnis“ unter den folgenden zwei Konzepten. Und, ein anderes Konzept des Restes ist „die Arbeit, zum einer gemeinsamen Phantasie des Anstriches abzubauen“. Diese drei Konzepte haben meine Idee und die Grundlage der Tat getan. Und, diese genehmigen und ein abstruse Konzept, das plicating ..com. vereinigte. Anfang ist nur durch Prägung genehmigt worden, daß ich ursprünglich bin. Ich versuche Arbeit, um mein von diesen Idee und Konzeptsätze jetzt zu bilden. Zuerst von allen, den Aufstellungsort „Wriggler der wandering Veränderung“ von den interlinearen Räumen von Sätzen bitte erfahren.……

【Russian】...... "Wriggler бродят мутации / 彷 徨 孑 孑 変 異" монеты, что я сделал. Она читается как "getsu - getsu - нaходящихся - kou - курицу - я". "getsu - getsu" в личинка комара, одним словом, wriggler. "Хоу - kou - курицу - я" - это технический термин из биологии. Именно конфронтации понятие "Внезапная мутация". И "getsu - getsu - нaходящихся - kou - курицу - я" является одним из трех основных концепций внесли важный в моей "акт ∞ thougt" действовать и циркуляции процесс идею. Один из них - "думать о прототипом памяти" среди следующих двух концепций. И другой концепции остаток "работы по ликвидации совместной фантазии живописи". Эти три концепции сделали мои Идея и основании акта. И эти утверждения и малопонятные концепции, единой .. .. осложняет начале был утвержден только монеты, что я оригинал. Я пытаюсь работать над тем, чтобы эти мои идеи и концепции наказания сейчас. Прежде всего, пожалуйста опытом сайте "Wriggler бродят мутация" с interlinear места заключения. ......

【Arabic】... "يرقه تتخبط سرطاني / 孑 孑 彷 徨 変 異" هو العملة التي ذكرتها. ومن يقرأ 'غيتسو غيتسو هاوزيتونغ - - - - - ايرانيه الدجاجه لي'. غيتسو '-' غيتسو للاليرقه البعوض ، في كلمة ، يرقه. 'هاوزيتونغ - ايرانيه - دجاجة الاول" هو مصطلح فني البيولوجيا. وهو مفهوم المواجهة '' الطفره المفاجءه. و، 'غيتسو غيتسو هاوزيتونغ - - - - - دجاجة ايرانيه' انا واحد من المفاهيم التي من الدعائم الهامة في بلادي قانون ∞ ثووغت 'العمل وتعميم فكرة عملية. احدهما هو التفكير في 'النموذج' ذاكرة التالية بين المفهومين. و، مفهوم آخر ما تبقى من عمل مشتركة لتفكيك تخيل صورة '. هذه المفاهيم الثلاثة فعلت كرتي واساس القانون. و، هذه الموافقة ومفهوم الامم abstruse.. تعقيد.. بداية تمت الموافقة الا انني العملة الاصليه. احاول العمل علي ان اجعل هذه الفكره ومفهوم الأحكام الآن. اولا ، يرجى تجربة موقع '' سرطاني يرقه تتخبط بين السطور من المساحات الاحكام. ...


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この項編纂中
参考:
資料1「現在まで通底するアングラ、マイナー精神の源流/名称不能行為」



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★【記録作成メモ】/小東亜共栄軒'08 名古屋 K・D Japon 5/2-3 

小東亜共栄軒'08

名古屋/記録作成メモ

名古屋(5/2-3 K・D Japon)記録のメイン頁はこちら≫



イベントの概要へ≫  map ≫  全出演者の簡単な紹介へ ≫
小東亜共栄軒'08名古屋出演者13名一覧へ≫
01 段英梅≫  02 チョウ・イーティン≫  03 陳進≫  04 舒陽≫  05 ワサン・シティケット≫
06 ホン・オボン≫  07 川端希満子≫  08 田上真知子≫  09 寺尾晴美≫
10 荒井真一≫  11 西島一洋≫  12 丸山真≫  13 梅村軍司≫




小東亜共栄軒'08 名古屋 (5/2-3 K・D Japon)終了しました。
ありがとうございました。
なお、これから少しずつ記録の編纂をし、掲載していきます。
掲載を展開するカテゴリーのURLは↓
http://aetta.blog62.fc2.com/blog-category-39.html
(FC2のブログサイトになります。)
まだ、これからとりかかるところです。


【記録作成メモ】
※以下のメモは記録の作成が完了したら別頁を新規作成しそこに移動します。


★メモ/2008年5月15日
記録の作成および掲載順序について
(1):まず、各アーティストの個々のファイルへ、
当日の記録写真、行為のタイトルやコンセプトなどを順に掲載していきます。
(2):そのあと、全体のまとめの頁(レポート)を新規作成します。
(3):最後に、http://aetta.blog62.fc2.com/blog-category-39.html にIndexを作成し記入します。

とりあえず昨夜、出演者の一人丸山真の頁を更新しました。
写真3枚掲載↑(撮影:JIGUAI)
追って林裕己撮影分も掲載します。
また、荒井真一ウェブのほうでも記録更新現在進行中です。

★メモ/2008年5月16日0:09
ホン・オボンのファイルはまだこのFC2ブログでは下書き段階ですが、追って公開します。
なお、先ほどyahooブログのほうのホン・オボンのファイル頁≫を更新しました。
当日の行為の写真7枚(撮影:JIGUAI)掲載しました。
(この7枚はFC2ブログのホン・オボンファイルのほうにも掲載します。)

★タイトルなど/5月17日午前6時現在メモ
■5月2日(金)/7名(当日の出演順)
ワサン・シティケット Vasan Sitthiket タイ Thailand
タイトル:【サッカー・ワールド・カップ -芸術で狂った政府を止めろ-】
丸山真 Makoto Maruyama
タイトル:【「野をゆく子供」他、自作の詩4編の朗読】
コンセプト:自分と対話する時間をもつために詩が必要だ。
段英梅 インメイ・ヅアン Yingmei Duan 中国 China (ドイツ在住)
タイトル:【】
川端希満子 Mamiko Kawabata
タイトル:【IN「毛」サラサラ】
チョウ・イーティン Chaw Ei Thein ビルマ Burma (ミャンマー myanmar)
タイトル:【闘いあるところ、希望あり】
梅村軍司 Gunji Umemura
タイトル: 【コーヒー豆焙煎】
コンセプト:健康とは 身体的 精神的 社会的に 完全に良好な状態である。じぶんと世界中の友だちの健康を願う。
西島一洋 Kazuhiro Nishijima
タイトル:【孑孑彷徨変異】
コンセプト:「孑孑彷徨変異」とは、僕の造語で「ゲツゲツホウコウヘンイ」と読みます。「孑孑」は「ぼうふら」、「彷徨変異」は生物学用語で「突然変異」の対立概念です。意味の説明は長文を要しますが、端的に言えば「いきあたりばったり」と解釈していただいてかまいません。表現という共同幻想の抑圧からの遁走行為です。

■5月3日(土)/6名(当日の出演順)
荒井真一 Shin-ichi Arai
タイトル:【万歳!日本 舒陽に】
寺尾晴美 Harumi Terao
タイトル:【おんなじ動き】
コンセプト:お客さんに自分と同じ動きをしてもらい、言葉ではなく同じ動きをする事でコミュニケーションする。コミュニケーションは言葉だけじゃない。
田上真知子 Machiko Tagami
タイトル:【With Swimming】
舒陽 シュー・ヤン Shu Yang 中国 China
タイトル:【赤いオリンピック】
陳進 チェン・ジン Chen Jin 中国 China
タイトル:【】
洪五奉 ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea
タイトル:【名古屋の鳥】

スタッフ
舞台:神野文彦、梅村軍司、西島一洋
照明音響:森田太朗
写真撮影:林裕己、JIGUAI
ビデオ撮影:中村明子、寺尾晴美
協力:斎藤亮人、岡庭智子、彦坂行紀、machi/、菊地rikishyaman

★5月19日メモ
ホン・オボンのアーティストファイル頁をこのブログに新規作成
洪五奉 ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea
http://aetta.blog62.fc2.com/blog-entry-159.html

これで、小東亜共栄軒'08名古屋に出演のアーティスト13人全員のファイルURLをこのブログFC2に作ってあります。まだ、ほとんどがイベント事前のアーティスト紹介の記事のみで、記録等はこれから順に付け加えていきます。いまのところ、記録を付け加えてあるのは、ホン・オボンと丸山真の2ファイルのみです。

★5月20日メモ
更新(記録掲載)ペースは一日一人ずつくらいになると思います。
各頁のレイアウトの変更や、リンクの整理も同時におこなっています。
全13名のうち、本日午後11時35分現在までの記録掲載済みアーティストファイルは以下の4名。
段英梅≫ ホン・オボン≫ 丸山真≫ チョウ・イーティン≫
残りはあと9名です。
今日はもう寝ます。では、また明日。





【記録作成メモ】
◆日々更新中の【作成メモ】は長くなりましたので、こちらのほうに移動しました。(クリック)≫


13ファイルのうち
段英梅≫  チョウ・イーティン≫  陳進≫  丸山真≫
舒陽≫  ホン・オボン≫  ワサン・シティケット≫
以上の7ファイルは、以下の編集項目が完了しています。

○記録写真の掲載、○頁レイアウト、○リンクの整理整頓
(○スライドショーの追加は後日、また上記の7ファイルにも、もう少し記録写真を加えるかもしれません。)
残りの6ファイルはまだ記録写真未掲載です。
後日(6月中旬までに)改めて更新作業を行います。

★6月12日追記
更新はもう少しお待ちください。
更新作業の再開は6月中旬以降になります。

★【作成メモ】の続きはこちら≫

★小東亜共栄軒'08 名古屋 K・D Japon 5/2-3 (K.D japon/ケーディ・ハポン)

下記イベント、小東亜共栄軒'08 名古屋 (5/2-3 K・D Japon)
終了しました。
ありがとうございました。
なお、これから少しずつ記録の編纂をし、掲載していきます。
記録を展開するカテゴリーのURLは↓
http://aetta.blog62.fc2.com/blog-category-39.html
作成中ですが、記事が出来次第、順に掲載していきます。
クリックしてご覧ください。


★ART-NEWSのトップへ戻る   ◆このイベントの詳細情報は、[ここ]をクリックしてください。
   ◆この頁の下のほうに出演アーティストの簡単な紹介文を掲載しました。[ここ]をクリックしてご覧ください。 ≫

パフォーマンス・アートのイベント

小東亜共栄軒'08 名古屋

アジアから6名+日本人7名

2008年5月2日(金)3日(土) pm7:00-9:00

K・D Japon ハポン  ◆会場アクセス◆/下の方に記載してあります。

段英梅 ≫チョウ・イーティン ≫陳進 ≫舒陽 ≫ワサン・シティケット ≫川端希満子 ≫田上真知子 ≫寺尾晴美 ≫荒井真一 ≫西島一洋 ≫梅村軍司 ≫丸山真 ≫ホン・オボン ≫


◆催名:小東亜共栄軒'08 名古屋
◆内容:パフォーマンス・アートのイベント
◆日時:2008年5月2日(金)3日(土)pm7:00-pm9:00
◆会場:KDハポン(K・D Japon)
◆入場料:1500円 (入場時に1ドリンクオーダー代500円が別途必要になります。)

◆出演:※下記アーティスト名をクリックすれば、各アーティストの紹介ページを表示できます。

段英梅 インメイ・ヅアン Yingmei Duan 中国 China (ドイツ在住) ≫
チョウ・イーティン Chaw Ei Thein ビルマ Burma (ミャンマー myanmar) ≫
陳進 チェン・ジン Chen Jin 中国 China ≫
舒陽 シュー・ヤン Shu Yang 中国 China ≫
ワサン・シティケット Vasan Sitthiket タイ Thailand ≫
洪五奉 ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea ≫
川端希満子 Mamiko Kawabata ≫
田上真知子 Machiko Tagami ≫
丸山真 Makoto Maruyama ≫
梅村軍司 Gunshi Umemura ≫
寺尾晴美 Harumi Terao ≫
荒井真一 Shin-ichi Arai ≫
西島一洋 Kazuhiro Nishijima ≫

◆問い合わせ先:0568-23-2017(西島一洋)
 mailはこちら ≫
◆名古屋開催企画/西島一洋&寺尾晴美


★段英梅 インメイ・ヅアン Yingmei Duan 中国 China (ドイツ在住) ☆荒井真一ウェブへ
  段英梅 インメイ・ヅアン Yingmei Duan 中国 China (ドイツ在住)
★チョウ・イーティン Chaw Ei Then ビルマ Burma (ミャンマー myanmar) ☆荒井真一ウェブへ
  チョウ・イーティン Chaw Ei Thein ビルマ Burma (ミャンマー myanmar)
★陳進 チェン・ジン Chen Jin 中国 China ☆荒井真一ウェブへ
  陳進 チェン・ジン Chen Jin 中国 China
★舒陽 シュー・ヤン Shu Yang 中国 China ☆荒井真一ウェブへ
  舒陽 シュー・ヤン Shu Yang 中国 China
★ワサン・シティケット Vasan Sitthiket タイ Thailand ☆荒井真一ウェブへ
  ワサン・シティケット Vasan Sitthiket タイ Thailand
★ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea ☆aettaウェブへ
  ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea
★川端希満子 Mamiko Kawabata ☆荒井真一ウェブへ
  川端希満子 Mamiko Kawabata
★田上真知子 Machiko Tagami ☆荒井真一ウェブへ
  田上真知子 Machiko Tagami
★丸山真 Makoto Maruyama ☆aettaウェブへ
  丸山真 Makoto Maruyama
★梅村軍司 Gunshi Umemura ☆aettaウェブへ
  梅村軍司 Gunshi Umemura
★寺尾晴美 Harumi Terao ☆aettaウェブへ
  寺尾晴美 Harumi Terao
★荒井真一 Shin-ichi Arai ☆荒井真一ウェブへ
  荒井真一 Shin-ichi Arai
★西島一洋 Kazuhiro Nishijima ☆aettaウェブへ
  西島一洋 Kazuhiro Nishijima
◆会場アクセス◆
K・D Japon(ケーディ・ハポン)
住所:名古屋市中区千代田5丁目12−7
電話:052-251-0324
・JR鶴舞駅北口より高架沿いに北上(千種方面)徒歩約3分
・同じく地下鉄鶴舞駅2番出口より徒歩約7分

地図:






以下は、出演アーティストの簡単な紹介です。
写真等、詳しくは各アーティストの詳細頁をご覧ください。
下記の写真か名前をクリックすれば詳細頁を表示できます。


段英梅 ドゥアン・インメイ Yingmei Duan 中国 China (ドイツ在住)
段英梅1969年生。数少ない「北京・東村」の女性メンバーの1人。栄栄に東村の作家(馬六明、朱冥など)のポートレイトやパフォーマンスの写真を撮ることをアドバイスした。東村の作家による「名もない山の標高を1m高くする」(1995年)にも参加。1998年ドイツ移住。マリーナ・アブラモビッチにパフォーマンスアートを学ぶ。東村時代の自画像の作品から一貫して、真摯に「自分」を成立させているもの(ジェンダー、社会環境など)のありかた、構造を追求している。自画像を描いた女性は彼女が中国美術史上初めてだったと思われる(革命前、美術にとって(も)女性はオブジェクトであり、革命期・革命後も女性が美術に参加することは文学よりもまれであったから)。
段英梅の詳細頁 ≫  公式ホームページ ≫  イギリス版wikipedia ≫  arts.tom.com ≫


チョウ・イーティン Chaw Ei Then ビルマ Burma (ミャンマー myanmar)
チョウ・イーティン1969年生。2001年には友人と自分の作品を超低価格で売る行商パフォーマンスを行い逮捕された。超低価格の場合アウン・サン・スー・チーさんの父親アウン・サン将軍の肖像の入った旧紙幣を使うことになるため(定額紙幣は超インフレのビルマでは現在実質上流通していない)、政治活動とされた。2カ月の拘留の後、別の大規模な反政府活動捜査のために、解放される。2007年に入ってからは、国内事情が悪化しているため帰国できない状態にある。2002年NIPAF参加。
チョウ・イーティンの詳細頁 ≫  チョウ・イーティンと友人テイ・リンを紹介する「ニューヨーク・タイムズ」2007年8月13日号 ≫  この記事の和訳 ≫


陳進 チェン・ジン Chen Jin 中国 China
陳進1964年生。男性。2000年に舒陽、朱冥と中国初の国際パフォーマンスアートフェスティバル「OPEN Art Festival」を開催。以後毎年継続、07年には8回目を迎える。01年フィンランド「EXIT」フェスティバル参加。3mの高さから中国の現主席のポートレイトに小便をかけ、その後そこから飛び降りるというセンセーショナルな作品を発表。02年NIPAF(Nippon International Performance Art Festival )参加。07年カッセル「ドクメンタ」のアイ・ウェイウェイ作品に参加。07年北京798アートスペースで非商業的アートスペース「OPEN REALIZATION CONTEMPORARY ART CENTER」を始める。
陳進の詳細頁 ≫  OPEN Art Festival ≫


舒陽 シュー・ヤン Shu Yang 中国 China
舒陽1969年生。画家、評論家、編集者、役者でもある。2000年の「OPEN Art Festival」では、オーガナイザーとして逮捕される。中国初の現代美術雑誌「新潮」(2000-01年)副編集長。01年以降黄鋭(ファンルイ)を助けて北京798アートスペース*の立ち上げにかかわる。02年NIPAF参加。役者としては、03年東京の「ハイナー・ミュラー」フェスティバルに「紙老虎(Paper Tiger Studio)」グループの一員として来日。03年以降「DaDao Festival」を毎年開催。中国のアンダーグラウンドのパフォーマンス、およびドキュメント(写真)を積極的にヨーロッパに紹介している。06年国際交流基金「美麗新世界:当代日本視覚文化」中国側コーディネーター。
舒陽の詳細頁 ≫  DaDao Festival ≫  北京798アートスペース ≫  イギリス版wikipedia ≫


ワサン・シティケット Vasan Sitthiket タイ Thailand
ワサン・シティケット1957年生。画家、反体制フォークシンガーでもある(CDもたくさん出している。南正人に風貌がそっくりで、実際知り合い)。1998年からの国際パフォーマンスアートフェスティバル「Asiatopia」の実行委員。またタイ芸術家党評議員(07年認可済政党)。タイ芸術家党は日本で秋山佑徳太子が都知事選で行ったバイタリティとユーモア、ヨーゼフ・ボイスがドイツで行ったユートピア的コンセプチャリズムをもろとも体現しようとする党だ。タイの反体制活動のTシャツの多くを手がけ、それらが1000枚になったことを記念する展覧会も開かれた。
ワサン・シティケットの詳細頁 ≫  Asiatopia ≫  Vasan painting ≫
♪ Vasan Sitthiket 「Burning Dream」 track05(3.8MB) mp3 music ♪ ≫


洪五奉 ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea
★ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea"The bird" ≫  8 Open Art Fes. 07年9月北京≫  荒井真一ウェブのホン・オボンの頁へ ≫
韓国のアーティストホン・オボン(洪五奉)氏の企画/KIPAF(金泉市)、DIPAF(東海市)、SIPAF(ソウル市) ≫
ホン・オボン(yahoo blog artist-fileへ) ≫
ホン・オボンの詳細頁へ ≫


川端希満子 Mamiko Kawabata
川端希満子1972年生。1996年よりNIPAFに参加。1999-2001年に彼女の行ったパフォーマンスは、日本を含め、イギリス、アメリカ、中国、タイ、インドネシア等では、今ではもう伝説になっている。「I am not an artist. I am a sex warker.」というコンセプトのもと、かなりの問題作を試みたため。00年「ジャパン・ソサエティ」(米・ニューヨーク)の同パフォーマンスでは、終演後、観客との活発なディスカッションが繰り広げられた。06年以降少しずつ活動を再開。現在も私たちの無意識の中に潜むジェンダーについての作品を手掛けている。
川端希満子の詳細頁 ≫


田上真知子 Machiko Tagami
田上真知子1971年生。オノヨーコの本を読んで、パフォーマンスアートの表現力に魅了され、渡米。2001-06年は、東京の大塚にてフリーアートスペース、アウトラウンジの企画、運営を手掛けた。07年都電を借り切った「ゼロ次元以後のアクションアート」では加藤好弘から、20代の作家まで9人のパフォーマンスを2日間にわたって紹介した。自身の作品は「いかに風景を意識化していくか」をテーマに「サバサバとした運動体でいること」と名付けてドイツ・中国・東京等で発表。
田上真知子の詳細頁 ≫  ゼロ次元以後のアクションアート ≫


丸山真 Makoto Maruyama
★丸山真 Makoto Maruyama1975年長野生。踊り。身体をつかう。
参考1:◇記録◇ NIPAF'07夏:名古屋公演:七ツ寺共同スタジオ ≫
参考2:◇記録◇ NIPAF'07春:名古屋公演:日本陶磁器センター4Fホール ≫
丸山真の詳細頁へ ≫


梅村軍司 Gunshi Umemura
★梅村軍司 Gunshi Umemura1977年生。
名古屋生まれの名古屋育ち。名古屋造形大で染織を学ぶ。刺繍アート、料理人、フリスビー…。印象に残るパフォーマンスは、七福邸で巨大鏡餅を焼き、熱い餅を背負い、我慢できなくなったら邸から飛び出て、近くのどぶ川で体を冷やし、再び戻り何度もその行為を繰り返すというもの。一見突飛な行為のようだが、その行為はたんたんとして、静かな祈りの行為のように見える。
梅村軍司の詳細頁へ ≫


寺尾晴美 Harumi Terao
寺尾晴美1969年生。金沢美術工芸大学卒。1994年から東京、名古屋などで絵画による個展。パフォーマンスは、1999年に名古屋港の倉庫跡で開催された日本国際パフォーマンスアート・フェスティバルのスタッフとして参加し、その後2000年より開始する。国内のほか、カナダ、韓国、中国、ミャンマー、フィリピンなどでも活動。なお、寺尾のパフォーマンス開始は99年からだが、金沢美大在学中に、同学の学友で近年「時をかける少女」で一躍有名になった細田守監督が学生時代に作った実験映画にも主演女優として出演しており、もともとパフォーマンスへの十分な素地はあったと考えられる。
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荒井真一 Shin-ichi Arai
荒井真一1959年生。1982年美学校で吉田克朗から銅版画を学ぶかたわら、サエグサユキオ、久住卓也、ホシノマサハル、赤木能里子と「赤木電気」を結成、即興パンクおよびパフォーマンスを始める。1983年「天国注射の昼」にて「日比谷野音、赤ペンキぶちまかし事件−川俣軍司に捧ぐ」。その後「大昭和発電」(w/桑原正彦、久住)、「現場の力」(w/サエグサ)、「福福物語」(w/鈴木健雄、谷川まり、サエグサ)に参加。1999年より「Happy Japan!」などソロで活動。06年東アジア(フィリピン、中国、タイ、インドネシア、香港)の5作家を招き「大東亜共栄軒」を企画。日本での公演はその作品の性格上、非常にまれ。
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西島一洋 Kazuhiro Nishijima
西島一洋ポツダム宣言から7年後、生まれる。その時の家業は録音業、レコード盤を作る器械があった。家業はかんばしくなく、5才の頃から祖母が細々と営んでいたうどん屋の2階の四畳半に親子5人。父は、色々事業を起こすがことごとく失敗で借金の山。うどん屋も手伝ったが、家計の足しにはならぬ、小6より、酒屋、プレス工、木工、染色工、牛乳配達。16才の時から絵かきとなるが、収入は無い。その後、掃除夫、ちり紙交換、キャバレーボーイ、劇場大道具、デパート店員、印刷ブローカー、版下デザイン、看板制作、洗濯夫、モデル、似顔絵、喫茶店、生花市場、などをてんてんとしながら、29才専業絵かきとなり現在に至る。また、1970年代よりハプニングやパフォーマンスに隣接する名称不能行為を断続的におこなう。1988年には「体現」と名付け体現集団φアエッタを創始、個人または集団で活動を続けている。「体現」は開かれた表現の領域としてのパフォーマンスアートとは一線を画しており、むしろ表現という幻想の抑圧から逃れる旅を続けているといった方が適切かもしれない。
artist-file:西島一洋の詳細頁 ≫




◆小東亜共栄軒'08 全国日程
4月26日(土)−29日(火)/東京:Gallery mestallaおよび美学校
5月2日(金)−3日(土)/名古屋:K・D Japon (ケーディ・ハポン)
5月5日(月)/富山:富山中央通りシャルムビル1F



◆このイベントの詳細情報は、[ここ]をクリックしてください。


小東亜共栄軒'08 名古屋 K・D Japon 5/2-3 (K.D japon/ケーディ・ハポン)

下記イベント、小東亜共栄軒'08 名古屋 (5/2-3 K・D Japon)
終了しました。
ありがとうございました。
なお、これから少しずつ記録の編纂をし、掲載していきます。
記録を展開するカテゴリーのURLは↓
http://aetta.blog62.fc2.com/blog-category-39.html
作成中ですが、記事が出来次第、順に掲載していきます。
クリックしてご覧ください。


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   ◆この頁の下のほうに出演アーティストの簡単な紹介文を掲載しました。[ここ]をクリックしてご覧ください。 ≫

パフォーマンス・アートのイベント

小東亜共栄軒'08 名古屋

アジアから6名+日本人7名

2008年5月2日(金)3日(土) pm7:00-9:00

K・D Japon ハポン  ◆会場アクセス◆/下の方に記載してあります。

段英梅 ≫チョウ・イーティン ≫陳進 ≫舒陽 ≫ワサン・シティケット ≫川端希満子 ≫田上真知子 ≫寺尾晴美 ≫荒井真一 ≫西島一洋 ≫梅村軍司 ≫丸山真 ≫ホン・オボン ≫


◆催名:小東亜共栄軒'08 名古屋
◆内容:パフォーマンス・アートのイベント
◆日時:2008年5月2日(金)3日(土)pm7:00-pm9:00
◆会場:KDハポン(K・D Japon)
◆入場料:1500円 (入場時に1ドリンクオーダー代500円が別途必要になります。)

◆出演:※下記アーティスト名をクリックすれば、各アーティストの紹介ページを表示できます。

段英梅 インメイ・ヅアン Yingmei Duan 中国 China (ドイツ在住) ≫
チョウ・イーティン Chaw Ei Thein ビルマ Burma (ミャンマー myanmar) ≫
陳進 チェン・ジン Chen Jin 中国 China ≫
舒陽 シュー・ヤン Shu Yang 中国 China ≫
ワサン・シティケット Vasan Sitthiket タイ Thailand ≫
洪五奉 ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea ≫
川端希満子 Mamiko Kawabata ≫
田上真知子 Machiko Tagami ≫
丸山真 Makoto Maruyama ≫
梅村軍司 Gunshi Umemura ≫
寺尾晴美 Harumi Terao ≫
荒井真一 Shin-ichi Arai ≫
西島一洋 Kazuhiro Nishijima ≫

◆スタッフ
舞台:神野文彦、梅村軍司、西島一洋
照明音響:森田太朗
写真撮影:林裕己、JIGUAI
ビデオ撮影:中村明子、寺尾晴美
協力:斎藤亮人、岡庭智子、彦坂行紀、machi/、菊地rikishyaman

◆問い合わせ先:0568-23-2017(西島一洋)
 mailはこちら ≫
◆名古屋開催企画/西島一洋&寺尾晴美


★段英梅 インメイ・ヅアン Yingmei Duan 中国 China (ドイツ在住) ☆荒井真一ウェブへ
  段英梅 インメイ・ヅアン Yingmei Duan 中国 China (ドイツ在住)
★チョウ・イーティン Chaw Ei Then ビルマ Burma (ミャンマー myanmar) ☆荒井真一ウェブへ
  チョウ・イーティン Chaw Ei Thein ビルマ Burma (ミャンマー myanmar)
★陳進 チェン・ジン Chen Jin 中国 China ☆荒井真一ウェブへ
  陳進 チェン・ジン Chen Jin 中国 China
★舒陽 シュー・ヤン Shu Yang 中国 China ☆荒井真一ウェブへ
  舒陽 シュー・ヤン Shu Yang 中国 China
★ワサン・シティケット Vasan Sitthiket タイ Thailand ☆荒井真一ウェブへ
  ワサン・シティケット Vasan Sitthiket タイ Thailand
★ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea ☆aettaウェブへ
  ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea
★川端希満子 Mamiko Kawabata ☆荒井真一ウェブへ
  川端希満子 Mamiko Kawabata
★田上真知子 Machiko Tagami ☆荒井真一ウェブへ
  田上真知子 Machiko Tagami
★丸山真 Makoto Maruyama ☆aettaウェブへ
  丸山真 Makoto Maruyama
★梅村軍司 Gunshi Umemura ☆aettaウェブへ
  梅村軍司 Gunshi Umemura
★寺尾晴美 Harumi Terao ☆aettaウェブへ
  寺尾晴美 Harumi Terao
★荒井真一 Shin-ichi Arai ☆荒井真一ウェブへ
  荒井真一 Shin-ichi Arai
★西島一洋 Kazuhiro Nishijima ☆aettaウェブへ
  西島一洋 Kazuhiro Nishijima
◆会場アクセス◆
K・D Japon(ケーディ・ハポン)
住所:名古屋市中区千代田5丁目12−7
電話:052-251-0324
・JR鶴舞駅北口より高架沿いに北上(千種方面)徒歩約3分
・同じく地下鉄鶴舞駅2番出口より徒歩約7分

地図:






以下は、出演アーティストの簡単な紹介です。
写真等、詳しくは各アーティストの詳細頁をご覧ください。
下記の写真か名前をクリックすれば詳細頁を表示できます。


段英梅 ドゥアン・インメイ Yingmei Duan 中国 China (ドイツ在住)
段英梅1969年生。数少ない「北京・東村」の女性メンバーの1人。栄栄に東村の作家(馬六明、朱冥など)のポートレイトやパフォーマンスの写真を撮ることをアドバイスした。東村の作家による「名もない山の標高を1m高くする」(1995年)にも参加。1998年ドイツ移住。マリーナ・アブラモビッチにパフォーマンス・アートを学ぶ。東村時代の自画像の作品から一貫して、真摯に「自分」を成立させているもの(ジェンダー、社会環境など)のありかた、構造を追求している。自画像を描いた女性は彼女が中国美術史上初めてだったと思われる(革命前、美術にとって(も)女性はオブジェクトであり、革命期・革命後も女性が美術に参加することは文学よりもまれであったから)。
段英梅の詳細頁 ≫  公式ホームページ ≫  イギリス版wikipedia ≫  arts.tom.com ≫


チョウ・イーティン Chaw Ei Then ビルマ Burma (ミャンマー myanmar)
チョウ・イーティン1969年生。2001年には友人と自分の作品を超低価格で売る行商パフォーマンスを行い逮捕された。超低価格の場合アウン・サン・スー・チーさんの父親アウン・サン将軍の肖像の入った旧紙幣を使うことになるため(定額紙幣は超インフレのビルマでは現在実質上流通していない)、政治活動とされた。2カ月の拘留の後、別の大規模な反政府活動捜査のために、解放される。2007年に入ってからは、国内事情が悪化しているため帰国できない状態にある。2002年NIPAF参加。
チョウ・イーティンの詳細頁 ≫  チョウ・イーティンと友人テイ・リンを紹介する「ニューヨーク・タイムズ」2007年8月13日号 ≫  この記事の和訳 ≫


陳進 チェン・ジン Chen Jin 中国 China
陳進1964年生。男性。2000年に舒陽、朱冥と中国初の国際パフォーマンス・アート・フェスティバル「OPEN Art Festival」を開催。以後毎年継続、07年には8回目を迎える。01年フィンランド「EXIT」フェスティバル参加。3mの高さから中国の現主席のポートレイトに小便をかけ、その後そこから飛び降りるというセンセーショナルな作品を発表。02年NIPAF(Nippon International Performance Art Festival )参加。07年カッセル「ドクメンタ」のアイ・ウェイウェイ作品に参加。07年北京798アートスペースで非商業的アートスペース「OPEN REALIZATION CONTEMPORARY ART CENTER」を始める。
陳進の詳細頁 ≫  OPEN Art Festival ≫


舒陽 シュー・ヤン Shu Yang 中国 China
舒陽1969年生。画家、評論家、編集者、役者でもある。2000年の「OPEN Art Festival」では、オーガナイザーとして逮捕される。中国初の現代美術雑誌「新潮」(2000-01年)副編集長。01年以降黄鋭(ファンルイ)を助けて北京798アートスペース*の立ち上げにかかわる。02年NIPAF参加。役者としては、03年東京の「ハイナー・ミュラー」フェスティバルに「紙老虎(Paper Tiger Studio)」グループの一員として来日。03年以降「DaDao Festival」を毎年開催。中国のアンダーグラウンドのパフォーマンス・アート、およびドキュメント(写真)を積極的にヨーロッパに紹介している。06年国際交流基金「美麗新世界:当代日本視覚文化」中国側コーディネーター。
舒陽の詳細頁 ≫  DaDao Festival ≫  北京798アートスペース ≫  イギリス版wikipedia ≫


ワサン・シティケット Vasan Sitthiket タイ Thailand
ワサン・シティケット1957年生。画家、反体制フォークシンガーでもある(CDもたくさん出している。南正人に風貌がそっくりで、実際知り合い)。1998年からの国際パフォーマンス・アート・フェスティバル「Asiatopia」の実行委員。またタイ芸術家党評議員(07年認可済政党)。タイ芸術家党は日本で秋山佑徳太子が都知事選で行ったバイタリティとユーモア、ヨーゼフ・ボイスがドイツで行ったユートピア的コンセプチャリズムをもろとも体現しようとする党だ。タイの反体制活動のTシャツの多くを手がけ、それらが1000枚になったことを記念する展覧会も開かれた。
ワサン・シティケットの詳細頁 ≫  Asiatopia ≫  Vasan painting ≫
♪ Vasan Sitthiket 「Burning Dream」 track05(3.8MB) mp3 music ♪ ≫


洪五奉 ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea
★ホン・オボン Hong O-Bong 韓国 Korea"The bird" ≫  8 Open Art Fes. 07年9月北京≫  荒井真一ウェブのホン・オボンの頁へ ≫
韓国のアーティストホン・オボン(洪五奉)氏の企画/KIPAF(金泉市)、DIPAF(東海市)、SIPAF(ソウル市) ≫
ホン・オボン(yahoo blog artist-fileへ) ≫
ホン・オボンの詳細頁へ ≫


川端希満子 Mamiko Kawabata
川端希満子1972年生。1996年よりNIPAFに参加。1999-2001年に彼女の行ったパフォーマンスは、日本を含め、イギリス、アメリカ、中国、タイ、インドネシア等では、今ではもう伝説になっている。「I am not an artist. I am a sex warker.」というコンセプトのもと、かなりの問題作を試みたため。00年「ジャパン・ソサエティ」(米・ニューヨーク)の同パフォーマンスでは、終演後、観客との活発なディスカッションが繰り広げられた。06年以降少しずつ活動を再開。現在も私たちの無意識の中に潜むジェンダーについての作品を手掛けている。
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田上真知子 Machiko Tagami
田上真知子1971年生。オノヨーコの本を読んで、パフォーマンスアートの表現力に魅了され、渡米。2001-06年は、東京の大塚にてフリーアートスペース、アウトラウンジの企画、運営を手掛けた。07年都電を借り切った「ゼロ次元以後のアクションアート」では加藤好弘から、20代の作家まで9人のパフォーマンスを2日間にわたって紹介した。自身の作品は「いかに風景を意識化していくか」をテーマに「サバサバとした運動体でいること」と名付けてドイツ・中国・東京等で発表。
田上真知子の詳細頁 ≫  ゼロ次元以後のアクションアート ≫


丸山真 Makoto Maruyama
★丸山真 Makoto Maruyama1975年長野生。踊り。身体をつかう。
参考1:◇記録◇ NIPAF'07夏:名古屋公演:七ツ寺共同スタジオ ≫
参考2:◇記録◇ NIPAF'07春:名古屋公演:日本陶磁器センター4Fホール ≫
丸山真の詳細頁へ ≫


梅村軍司 Gunshi Umemura
★梅村軍司 Gunshi Umemura1977年生。
名古屋生まれの名古屋育ち。名古屋造形大で染織を学ぶ。刺繍アート、料理人、フリスビー…。印象に残るパフォーマンスは、七福邸で巨大鏡餅を焼き、熱い餅を背負い、我慢できなくなったら邸から飛び出て、近くのどぶ川で体を冷やし、再び戻り何度もその行為を繰り返すというもの。一見突飛な行為のようだが、その行為はたんたんとして、静かな祈りの行為のように見える。
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寺尾晴美 Harumi Terao
寺尾晴美1969年生。金沢美術工芸大学卒。1994年から東京、名古屋などで絵画による個展。パフォーマンスは、1999年に名古屋港の倉庫跡で開催された日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバルのスタッフとして参加し、その後2000年より開始する。国内のほか、カナダ、韓国、中国、ミャンマー、フィリピンなどでも活動。なお、寺尾のパフォーマンス開始は99年からだが、金沢美大在学中に、同学の学友で近年「時をかける少女」で一躍有名になった細田守監督が学生時代に作った実験映画にも主演女優として出演しており、もともとパフォーマンスへの十分な素地はあったと考えられる。
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荒井真一 Shin-ichi Arai
荒井真一1959年生。1982年美学校で吉田克朗から銅版画を学ぶかたわら、サエグサユキオ、久住卓也、ホシノマサハル、赤木能里子と「赤木電気」を結成、即興パンクおよびパフォーマンスを始める。1983年「天国注射の昼」にて「日比谷野音、赤ペンキぶちまかし事件−川俣軍司に捧ぐ」。その後「大昭和発電」(w/桑原正彦、久住)、「現場の力」(w/サエグサ)、「福福物語」(w/鈴木健雄、谷川まり、サエグサ)に参加。1999年より「Happy Japan!」などソロで活動。06年東アジア(フィリピン、中国、タイ、インドネシア、香港)の5作家を招き「大東亜共栄軒」を企画。日本での公演はその作品の性格上、非常にまれ。
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西島一洋 Kazuhiro Nishijima
西島一洋ポツダム宣言から7年後、生まれる。その時の家業は録音業、レコード盤を作る器械があった。家業はかんばしくなく、5才の頃から祖母が細々と営んでいたうどん屋の2階の四畳半に親子5人。父は、色々事業を起こすがことごとく失敗で借金の山。うどん屋も手伝ったが、家計の足しにはならぬ、小6より、酒屋、プレス工、木工、染色工、牛乳配達。16才の時から絵かきとなるが、収入は無い。その後、掃除夫、ちり紙交換、キャバレーボーイ、劇場大道具、デパート店員、印刷ブローカー、版下デザイン、看板制作、洗濯夫、モデル、似顔絵、喫茶店、生花市場、などをてんてんとしながら、29才専業絵かきとなり現在に至る。また、1970年代よりハプニングやパフォーマンスに隣接する名称不能行為を断続的におこなう。1988年には「体現」と名付け体現集団φアエッタを創始、個人または集団で活動を続けている。「体現」は開かれた表現の領域としてのパフォーマンス・アートとは一線を画しており、むしろ表現という幻想の抑圧から逃れる旅を続けているといった方が適切かもしれない。
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◆小東亜共栄軒'08 全国日程
4月26日(土)−29日(火)/東京:Gallery mestallaおよび美学校
5月2日(金)−3日(土)/名古屋:K・D Japon (ケーディ・ハポン)
5月5日(月)/富山:富山中央通りシャルムビル1F



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